毎年、春に開催される
京都国際写真祭。
今年は、コロナの影響で
秋に開催されることに。
今年は、芸術好きではあるものの
詳しくは語らない(語れない)ところが
似ている友人と気ままに参戦。
お互いに観たい展示を提案し合い、
その道中の展示にも寄るスタイル。
私は、申し訳な〜いと思いながらも
いちばん遠いマリー・リエスの展示が
気になっていたので、それを提案した。
マリー・リエスの盲学校に通う
生徒たちのポートレートの展示は、
盲目の人たちでも作品(写真)を
みることができるように、
エンボス加工が施されたものも
写真と一緒に置かれてた。
教室のように作り上げられた
空間が面白い。
切り取られたその瞬間を点字のような
要領で指先で触れて想像するの。
目を瞑って写し出されたものを捉える、
これがなかなか難しい。
写真=平面(紙切れ)に囚われていた
自分に気づかされてハッとした。
被写体だけじゃなく、
光の濃淡も凹凸の大きさや
色々な素材で表現されていて、
世の中にはこんな表現方法もあるのか、と
これまで見えていなかったものに
気付くことができる展示だった。
盲目の人ほど、その瞬間を
全身で見ているのかもしれない。
視覚があることと引き換えに
捉えられなくなっているものも
たくさんあるのかと思ったら
なんとも言えない気持ちになった。
こんなご時世だけど、帰り道は
いろいろ撫でたり握ったりして
指先の感覚を楽しんだ。
大人になるにつれて、
見えなくなるもの、
あえて目を逸らすものは
悲しいけれどもっと増えていく。
この僅かながらも残った純な心を
薄めて、伸ばしてでもいいから
できる限り持ち続けたいな。
そう感じた1日でした。
zero .
穏やかな記録 。
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